「なぜ、人を殺してはいけないのか」っていうことについて思考実験としておもしろそうなので色々。中二病的かつ非常にチラ裏。


学生時代はよく考えたなぁ。
私の意見ではお父さんやお母さんが「人を殺してはいけないよ」っていうから。
あと、この国の法律で殺してはいけないことになっているから。
つまり、自分の属する社会でそうなっているから、そこで生きていくにはそこの規範にはなるべく従ったほうが自らの幸福追求が容易であると。
それだけで、絶対的に人を殺してはいけないということは特にないと思う。殺さざるえない状況が人の生には存在するから「人殺し禁止」ってルール作る必要があるんだもんな。
完全に今の社会から隔絶される覚悟があれば、別にいけなくない。覚悟がなくてもしょうがないときはしょうがない。
あんまりないけど「人を殺してはいけない」という規範がない社会に生まれたらまあ、人を殺してもいいんだろうし。戦争とかか。いや、そういう社会だったら維持のためには個別案件で善悪が量られるのかなぁ。
ああ、そうだった。今の社会もいちいち個別に「世界の敵w」の罪を量るのがめんどくさいから「人殺しは原則禁止」って言ってるだけか。山登りとかで自分と相方のどっちかしか助からないという状況だったらザイル切っても罪にはならないはずだし、交通事故とかの過失での殺人も思いがけず量刑軽い。
中絶もこんな感じか。自分か子のどっちかしか助からないんだったら、自分選んでもいいって。二人で死を見据えて貧乏生活するんだったら中絶したほうがましっていう状況もある。中絶絶対禁止って言うんだったら、中絶前の女性の生活が完全に維持又は回復されればいいと思うけど、今の世の中むずかしすぎ。子を生んだらほとんどの場合絶対母親が育てろって圧力かかるし、養子に出したりとか捨てたりするとものすごく社会的評価がさがるし、本人の罪悪感も中絶より逆に大きかったりするし。あと、妊娠子育て期間の生活の保障が必ずしもされるわけじゃなし。この世の中には不思議なことばかりですね。
この社会が「人殺し原則禁止」って理由は以下の理由だと推察。
まず一つは、蛇嫌いだったり、高いところが苦手だったりするのとおんなじように大きな生き物(とか同種族)殺すことはほとんどの人が本能的な嫌悪感を持ってるから「人を殺してはいけない」って言うのが絶対だ、神様が決めたんだと言い張りたい。1mのブダイを捌くの横で見てるだけでブルーになる自分が言うんだから間違いない。(刺身はおいしくいただきました)
そういえば、最近この同族殺しとか生き物殺しの嫌悪が少ない人が優秀な兵士になるとかっていうのをどっかで見た。ブックマークしとかなくっちゃだめじゃん。
あと、万人の万人に対する闘争とか社会契約論関係は省略。
三つ目は殺しちまったあとは現状回復がもうほとんど困難っていうのがあると思う。
「なにいっ、我が父の仇はこやつではなかったのか!!」みたいな。
死刑執行3日後、新証拠発見で実は冤罪!っみたいな。(だめだ。巫女子ちゃん難しいおw)
ちなみに、自分は実は消極的死刑廃止論者だ。裁判でも絶対に間違いあると思うので(実は超人間不信だおw)まちがえて死刑にしちゃったら嫌とか、社会システムとして人を殺すことは、虐殺(genocideの方)の危険性…までは言わないけどそのイメージあって嫌だとか。
感情なしに社会システムの一環として、人を殺すっていうことに逆に嫌悪感があるんだけど、報復で犯罪被害者の遺族がスイッチ押すなんていうのも怖気が走る弱虫。こころゆくまでヘタレ。地元の言葉でいえばやっせんぼ。いっそすがすがしい。そういうわけで絶対に人を殺してはいけませんまる。