麻雀放浪記に、「通りで事故があったとき物見高いばあちゃんがすわ!とばかりに駆け出すというシチュを見ない。そういう庶民がいなくなったんだろうな…」という内容の文があったのをうろ覚えしているのですが、読んでいてそれなんていう2chと思ったものでした。


最近、日本は場を立ち上げて、その中で真剣にままごと遊びをするのがデフォの文化だなあと感じます。で、そういう結界を張った場がレイヤード構造になっていて、うっすら他の場が交錯したり、場の上に場を立ててみたり、あえて下に場を立てて、上の場を揶揄してみたり。基本的にその場はその場は尊重して混ぜすぎない。
御簾の内外、茶会、無礼講、公園デビュー。人様のブログ、SNS、チャット。飲み会に行ったら、つい上座を作って誰をそこに座らせるか考えて、乾杯はだれか、〆は誰か。お約束が書かれていないけど空気があって。
で、個人的に思うのですが、ちょっと場を立てるときをもう少し意識したほうがあとが楽な気がします。場を立てるとき無意識すぎなのはよくない。結界張るときって世界と生でヤリあう危険な瞬間なのでつ。
サークルとか、学校とか会社とかいろいろあるけど、場を立てるときにきちんと中の人に色々聞いて言いたいことは言ってみた方がいい。あくまで「真摯に聞く(KY)」が先。
そこらへん人と語らずによい場を立てられると最高に「いき」だけど、野暮は世の中を回すのに必要なんで存分に野暮をやってもいいと思います。無意識に場をたてると、他の場と関わるときの距離の目測を誤るので危険な気がします。
炎上してしまう企業の謝罪文とか、mixiの書き込みとか距離感読めてないなと感じます。
欧米ってあんまり場を立てないで、生の個人に近いまま、交渉が続く印象があってヘビーだろうなと想像します。ペルソナとかその辺はあるのでしょうが、日本は誰が誰と入れ替わっても和やかに行くようにみんなで場を調整していって、あればポジショントークですよという言い訳が効くからいいですよね。いわゆる「本音」と「建前」。みんなそれほど悪人でも善人でもいられないよね多分というあいまいな日本の私。

べ、べつに「場」って2chのスレのことじゃないからねっ!!というくらいの内容になった。長く見てるけどたいがいROMだから、あんまり書くのは恐縮ですが、2chの良スレは最高に「いき」というものがあって(ボケにあえて誰もつっこまないで我慢してるところとかw)、日本人はとりあえず数百年変わってないばなって感覚に陥ることがあります。テンプレにある「荒らしはスルー」なんていうのは最高の野暮ですが、それもまたスレ立て時の風物詩みたいなものでなにやらよい風情だと思ったりします。昔は>>1氏ねだったのが今は>>1乙なのが隔世の感があるな…と嘆息してみたり。